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恩人の死を通して考えたこと(5)

Sさんの退院日はすぐそこまで迫っている。退院しても緊急通報システムの準備などのタイムラグの問題がある。直近でSさんを見た感じでは、どうも退院して一人暮らしができるような状況ではなさそうだ。なんとか入院治療を続けてもらいたい。できれば転院させたい。だが、現実的にそれはかなり難しい。

退院した後のことを考えれば、その負担を支えなければならないのは、戸籍上は親子ではないSさんの娘さんになる。それもきついところだ。娘さんの話によると、ケアマネージャーは介護用のベットや車椅子の用意をしましょうというが、金銭的な負担も重い。

このような状況の中で、Aさんは、自分の職業上の知識を使って、Sさんの退院の引き伸ばすことを提案した(具体的な方法について書くのは控えるが…)。その方法は、以前にAさんの身内がSさんと似たような状況になったことがあって、そのときに使い、成功したことがあるという話だった。そうして引き伸ばしている間にSさんの転院先を見つけるという。

ただ、それを実行するのは職業的経験のあるAさんというわけにはいかず、Sさんの娘さんだから、Aさんの思惑どおりに行くとは限らない。もちろんかつて上手くいったからといって、今回も上手く行くわけではないし、上手く行ったら行ったで、病院にとっては困った話になってしまう。

ある程度医療現場の大変さを聞いている私としても、諸手をあげて賛成という気持ではなかったが、ここはAさん案で行くしかないのかな? と思った。とにかく、いろいろお世話になったSさんの窮地をなんとかしたいという一心だった。

だが結局Sさんは予定通りに退院した。そして退院した翌々日に娘さんに看取られて亡くなった。一人暮らしの心配も、転院の心配もすることはなかったわけだ。もちろん、後だから言えることではある(続く)。