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戦前の自動車雑誌

 現在執筆中の単行本のネタから少し……。齋藤俊彦氏の著作によると、日本で一番古い自動車雑誌は1912年に創刊された『飛行器ト自動車』らしい。発行元は東京自動社、後に茗渓会の発行となっている。私は、まだ実物を見たことがないが、東京大学明治新聞雑誌文庫に収められているようなので、資料を取り寄せてみるつもり。
 続いて創刊された『自動車』に関しては『カーグラフィック』誌の1968年10月号に紹介記事を見ることができる。『大正初年の雑誌「JIDOSHA,自動車」』というタイトルで、執筆者はイミターチォ・セシリ氏。記事によると同誌の判型は横23センチ、たて28センチというからA4判よりも少し大きいくらいだ。一冊の中程に水色の紙の広告ページがあって、それを境にして、邦文と英文の二部からできている。セシリ氏は記事中で、同誌の表紙の構成、扉や本文のカットの素晴らしさ、文字、文字の配置などの素晴らしさを挙げている。記事内容は、国内旅行記が中心を占め、東北、軽井沢、青梅、草津、九十九里浜などが取り上げられているそうだ。
 同誌は、当時の外国商社の社長達や国内で自家用車を持っていたいわゆる「特権階級」の人達が集まって作った「日本オートモビール・クラブ」の機関誌で、そのクラブの役員には、大倉喜七郎、藤原俊雄など。他に外国人も名前を連ねている。ちなみに大倉氏はケンブリッジ大学に留学していた時代、イギリス初のレーシングコースのブルックランズで開催された30マイル・モンタギュー・カップで2位に入賞した、当時のカーマニア。ただ、贅沢な作りだった同誌も1914年以降、全体に質が落ち、表紙と編集デザインは、はじめとは雲泥の差生まで低落していると記事中にある。
 続いて1913年に創刊した『モーター』は、山本豊村が創刊した自動車・オートバイ・航空機専門誌だ。ちなみに1913年当時は、自動車台数は特殊自動車を加えて761台という時代。同誌は、太平洋戦争が始まった翌年の1942年11月の雑誌統合まで発行を続けた。山本は、1883年頃、新潟県東頚城郡沖見村平方(現上越市牧区平方)で生まれた。早稲田大学英文科に入学し、1903年卒業後した後、1913年8月に『モーター』の創刊に至る。同誌は、自動車関係の各方面の専門化、団体首脳、経営者、学会、交通警察を始め諸省の官僚・軍人(軍用自動車関係)など多彩な執筆者が寄稿していた。これは国会図書館マイクロフィルムで読むことができる。(うちの近所の古書店にも在庫がありますが、1冊2万円です)。