11年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身は意外と?やわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前(※2024年3月5日現在出版社在庫分のみになっているようです)に、そこから抜粋したり、今になって思うことを書いてみたいと思います。自動車雑誌編は24回で完結していますが、今回は同書の中で残っていたモータースポーツ誌編の第6回となります。
サーキットレースに目を向けると、1970年代中盤から80年代にかけてはTVでもF1はダイジェスト版の放送があるに過ぎず、中継はありませんでした。その点で、「AUTO SPORT」や「オートテクニック」が唯一に近い情報源と言えたわけで、モータースポーツ専門誌が重用される時代となっていました。国内レースは全日本F2レースや富士GCレースのTV放送が行われており、一定のファン層ができていました。国内レースが現在より身近とも言えました。リアルタイムではないにしろ、TV放送を見たのちに詳細に関しては雑誌で情報を得るという循環ができていたと言えます。
モータースポーツとモータースポーツ専門誌がさらに活況を呈してくるのは80年代後半になります。まず、ホンダのF1復帰がブームの火をつけました。ネルソン・ピケ、アイルトン・セナ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロストといった個性のあるドライバーの存在に加え、日本人初のフルタイムF1ドライバーとして、中嶋悟がロータス・ホンダで参戦したこともブームを一層盛り上げました。
このような中、新たなモータースポーツ専門誌として1986年に武集書房から「Racing on(レーシングオン)」が発行されました。創刊当時のモータースポーツの隆盛をふまえ、創刊編集長の三好正巳さんは「Racing on MEMORIES」でこのように述懐しています。
「(~略)この頃、日本のモータースポーツ界は勢いづいていた。新たなスポンサーが続々と参入し、F3000もCカーもグループAも大ブレーク前の“地鳴り”が聞こえていた。なかでも日本のF2で5度の王者に輝く中嶋悟がホンダの支援を得て本場欧州のF3000に参戦する状況は、F1で破竹の進撃を続けていた「ホンダパワー」との接点が垣間見える、実に胸がときめくプロジェクトであった(略~)」
としつつも、それを単にレポートやメカニズム解説として伝えるのみで「感動」として伝え切れていない既存メディアに不満を述べた上で、「感動」そのものを満載した雑誌として「レーシングオン」を創刊した旨を書き記しています。旧来の「AUTO SPORT」、「オートテクニック」に欠けていたエンターテイメント性という要素を加え、F1ブームの到来に時期をあわせるように創刊されたのが「Racing on」と言えるでしょう。
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