現在、Kindle アンリミテッドで公開中の「昭和・平成3つのストーリー」より第一話「カッパー色の一年:三菱ランサーセレステ」の冒頭部分を掲載いたします。アマゾンKindleアンリミテッドの規約だと10%を超えない範囲なら掲載できるようなので、ここまでになってしまいます。
以下
昭和・平成3つのストーリー
■STORY 1
「カッパー色の一年:三菱ランサーセレステ」
浪人を決め込んだ僕に厳しめのパートナーが現れた
僕はお世辞にもきれいとは言えないガレージ内で、スプリングが生地を破って飛び出してきそうなソファに座っていた。ディーラーの営業マンが置いていった新車カタログと自動車雑誌の「モーターマガジン」や「ホリデーオート」が雑然と置かれた事務机。黒電話が一つとSUNNYのロゴが透かしで入っている灰皿。その近くの丸椅子に座る父が、くわえたタバコを手に取ると灰皿にこすりつけた。
「とりあえず運転に慣れろ。どうせブラブラしているんなら納車の手伝いくらいしろ」
「受験勉強があるからいつもブラブラしているわけじゃないけど、そのくらいは手伝えるよ」
「なにを勉強してるんだかわからないけどな。まあ十八にもなってただメシ食ってるだけじゃな」
滑り止めで受かった大学があるにもかかわらず、そこが気に入らないというだけで浪人を決めた僕を、父は半ば強制的に自動車教習所に行かせ、さっさと運転免許証を取らせた。
「駐車場の端っこにあるセレステは前に長沢さんが乗ってたクルマだ。車検がまだあるから乗ってていい。見てくれはあんなだが悪いクルマじゃないぞ」
言葉は職人的できついが、モラトリアムを決めた息子に父は怒るでもなく、むしろ機嫌がいい。
「俺が納車するときに、お客さんのところまでついてこい。そうすりゃ帰りはセレステで一緒に帰れる」
僕は頷いた。
零細自動車板金工場の社長兼職人の父は、お客さんのクルマが仕上がるとそれを納車する必要がある。行きはお客さんのクルマで行けばいいが、帰りの足がない。僕がセレステでお客さんのクルマの後を追っていき、納車を終えたらセレステで一緒に帰ってくれば良い。つまり人足ができたわけで渡りに船だったのかもしれない。
事務机の上の電話が鳴った。父はラジオのボリュームもそのままで電話に出た。
「よお、どうした。元気かよ。えっ、またぶつけたのか」
客相手に遠慮のない父の電話が始まったのを潮に、僕はソファから立ち上がり、ガレージの裏手に回った。件のクルマ、ランサーセレステは複数台置ける駐車場の一番端っこにホコリまみれで止まっていた。
昭和50年式と父は言っていた。もう9年前のクルマになる。中古車というよりも大古車だ。最初の車検登録から10年経つと1年車検になる。ご近所の長沢さんがこのクルマを〝捨てた〟のは、今後の1年車検を嫌ってのことだろう。僕が1年乗ったら廃車という運命かもしれない。
ひと目見て「スタイルは悪くないな」と思った。最新のスカイラインやCR -Xに比べたら古臭いが、スポーティなクーペであることは間違いない。ただ、塗装技術のせいもあるのだろうが、カッパー色のボディはところどころまだらに剥げたような状態で悲惨といえば悲惨。だが、塗装職人の父に〝見てくれ〟はかすり傷程度にしか見えないのだろう。
ドアはロックされてなく、キーはつけっぱなしだ。僕がメッキ塗装されたドアノブを引くとチャッという軽い音でドアが開いた。使い込んでおしりの部分だけ薄くなったようなシートに座る。タバコと古い合皮の匂いが鼻を突く。手を伸ばしたところにあるディープコーンタイプのステアリングの感触は悪くない。3本スポークの上部のスペースからは、6連メーターが見える。
ふと、自分の最初の記憶の一つである富士スピードウェイの日本グランプリを、父とその友人といっしょに観戦したことを思い出した。4歳になる直前だったが、ハコスカGT -Rが30度バンクに突入していくのだけは鮮明に覚えている。その記憶と同時に、エンジンをかけさえすれば自由に道を走れる資格を得た実感が湧いてきた(続きは以下からになります)。