自動車ライター飯嶋洋治のブログ

編集者、ライターです。「モータースポーツ入門」、「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」(ともにグランプリ出版)、「スバル・サンバー 人々の生活を支え続ける軽自動車の半世紀」(三樹書房)、「きちんと知りたい!自動車エンジンの基礎知識」(日刊工業新聞社)など著書多数。たまにサーキットを走ります。

自動車雑誌、悪戦苦闘の100年史(17)

10年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーション自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身はわりとやわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、になって思うことを書いてみたいと思います。今回はその17回目です。

1991年を境にしてバブル景気が終わりました。景気が急激に冷え込みはじめるとともに、クルマが夢やステータスをもたらすものから、道具としての利便性を求められる傾向となります。90年代半ばになると、スポーツカーやスポーティカーはマニアのものになり、ミニバンやSUVというファミリー向けのクルマが台頭し、メーカーもそちらに注力するようになります。

また、CO2排出による地球温暖化の問題も顕在化してきました。第三回気候変動枠組条約締約国国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)が1997年12月に工としで開かれ、京都議定書が採択されるなど、自動車メーカーも環境への取り組みという視点が求められるようになります。ひとことで言って「難しい時代」になり、自動車雑誌も苦戦が目立つようになるのがこの頃です。

「オールドタイマー」の創刊は1991年。旧車市場の盛り上がりや、DIY層に向けた内容。取り上げる車種も「名車」ばかりではなく普通の商用車だったりするのも特徴だった。

このような時代に創刊された自動車雑誌もあります。まず1991年に八重洲出版から創刊された「オールド・タイマー」を見てみます。取材時(2013年時点)の編集長の甲賀精英樹氏はこう語ってくれました。

「創刊のきっかけは、すでに『カーマガジン』や『ノスタルジックヒーロー』が創刊され、市場ができあがっていたことがあります。また、当社では、すでに改造系の記事が多い『CARBOY』がありました。そちらでもちょっと古いスポーティなクルマを買って、エンジンをパワフルなものに載せ替えるような企画もやっていたので、そこのフリーライター達が『古いクルマだけでけっこうできるんじゃないか?」と初代編集長の橋本(茂春氏)に掛け合ってはじまったとも聞いています」

同誌が不定期からすぐに定期刊行物となっていったのは、本当に自分の好きなクルマを所有し、そのクルマを自分でいじる旧来のクルマ好きの層をすくい上げたとも言えるだろう。ただ、創刊時は、必ずしもマニアックな旧車のDIYの雑誌だったというわけではありません。

創刊号は必ずしもDIY路線ではなかったが、「SPL311リフォーム大作戦」企画のように、創意工夫によって旧車をリフレッシュするための記事も掲載されていた。

クルマをいじる記事も同誌がオリジナルで取材したものではなく、「CARBOY」のネタから持ってきたものがあったと言います。

「創刊10号から20号くらいだとまだ内容がカオス状態でしたが、だんだんきれいなクルマは載せてもしょうがないという傾向になってきました。競合誌がクルマを美しく撮ることを主眼においているように見えたので、本誌の場合は、いじりものとオーナーの人生観、世界観にスポットライトを当てたいと考えました」と先出の甲賀元編集長は語ります。

いずれにしてもこのような形で、競合誌と棲み分けることで読者の支持を得ていきました。

1998ねに創刊された「XaCAR」はミニバンやワゴンが中心の時代に「ハイパフォーマンスカー」と取り上げるという方針をとった。

1990年代のミニバンブームとも言える中で、それと逆張りするような雑誌も創刊されました。1998年に三栄書房から創刊された「XaCAR(ザッカー)」です。編集長は、交通タイムス社で「CARトップ」の編集長を長年務めた城市邦夫氏でした。

同誌がこだわったのは「ハイパフォーマンスカー」でした。スタート時には、レギュラーの執筆陣として関谷正徳鈴木亜久里片山右京土屋圭市、中谷明彦、木下隆之というレーシングドライバーを起用したのも、同誌の特徴です。

城市氏は「厳しい時代ではありましたが、多くの協力者を得ることで読者の支持を受けるようになりました。創刊3年くらいしてから安定して売れるようになりました。でも、その後、だんだんまた部数が下がってきた。なかなかうまくいかないですね」と正直な気持ちもその時吐露してくれました。

時代はランエボインプレッサWRCでチャンピオン争いをしていた最中。4WDターボに代表される過激なクルマが注目されている時代を見通しての創刊でもあった。

ここで、既刊の自動車雑誌が90年代にどのような状態だったかを振り返っていくと、全体的な傾向としては1990年代半ばまでにその隆盛が収束に向かっていました。とくに自動車総合誌というジャンルが崩れ始め、趣味嗜好が細分化していった面があります。経済状況としては、クルマ自体が高価になっていくのに若年層の収入が上がらず「若者のクルマ離れ」という言葉も出てきます。

一例として「ドライバー」の編集長を務めた小口泰彦氏の言葉を借りると「一番良かったのは1989年頃で、それまでの最高部数を記録した年でもあります。返本率は一桁台でした。当時は、20%だとどうしたんだと心配される感じでした。1995年頃は部数的に減ってきて、どうにかならないのかという時期でした。(スポーティな)ニューモデル自身に魅力が無くなってきた面があり、読者としても、魅力のないクルマを誌面で大きく扱っても、それが何?みたいな感じが出始めたのではないでしょうか?」と語っています。

それは当時、モータースポーツ誌の編集をしていた私の実感とも重なります。もちろん、需要に合わせて自動車メーカーがRV、ミニバンを中心としたファミリー向けにしたのは経済活動としては当然でしょう。ただ、旧来のクルマ好きには物足りない時代に入ったことは否めませんでした。

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