10年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身はわりとやわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、今になって思うことを書いてみたいと思います。今回はその3回目です。
現代的な自動車雑誌が生まれるのは戦後になってのことで、ここでは戦前の雑誌を若干掲載しておきます。いくつかの雑誌が創刊されるものの、時代は第二次世界大戦へと向かっており、自動車雑誌面も軍事色が現れてきます。1943年には「モーターファン」はタイトルが「自動車日本」となり、1944年3月号で休刊。戦況が厳しくなったことや用紙の確保の問題などがあったことが想像できます。
他に戦前に創刊した自動車雑誌としては、トヨタ自動車のバックアップで発行していた「流線型」があります。1937年1月に流線型社より出版していました。中身も「モーターファン」よりも一般的な読者(ユーザー)を対象にしていたものでした。これも戦時中はさすがに休刊になりますが、1947年に復刊。その後も1957年に「モーターエイジ」と改題されて1996年までトヨタの広報誌として発行されていました。
1934年にはオートモビル社から「ドライブ之友」というドライブを趣味にする人のための雑誌が発行されたり、同社からは同じころに「オートモビル」という自動車業界、技術資料を中心とした雑誌も発行されています。他にも「自動車青年」、「自動車」(ともに自動車交通弘報社)などなど、一般誌、業界誌を含めそれなりの自動車雑誌が発行されていました。
こうした雑誌の創刊は、自動車、自動車産業に惹かれた人がいかに多かったかを示すものと言ってもいいでしょう。自動車を自家用として乗ることは一般庶民には無理だったとしても、すでに憧れとしての自動車という面はあったと想像できます。特に大正時代は、第一次世界大戦の戦争特需で好景気だったことも隆盛に影響しているはず。
第二次世界大戦がなければ、自動車産業はどう発展していたのかというのは、想像しても仕方のないことかもしれませんが、軍需産業としてではなく、戦前から乗用車製作に情熱を捧げていた人々やメーカーにとってはまさに悪戦苦闘の時代と言っていいのかもしれません。