自動車ライター飯嶋洋治のブログ

編集者、ライターです。「モータースポーツ入門」、「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」(ともにグランプリ出版)、「スバル・サンバー 人々の生活を支え続ける軽自動車の半世紀」(三樹書房)、「きちんと知りたい!自動車エンジンの基礎知識」(日刊工業新聞社)など著書多数。たまにサーキットを走ります。

自動車雑誌、悪戦苦闘の100年史(7)

10年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーション自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身はわりとやわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、になって思うことを書いてみたいと思います。今回はその7回目です。

「カーグラフィック」は1962年に創刊。「モーターマガジン」に在籍していたスタッフと、フリーランス小林彰太郎氏が立ち上げた。

1950年代を総括すると、本格的な日本の自動車産業の勃興の時代でした。来るべきモータリゼーションの胎動が見られる中で、「モーターファン」、「自動車工学」、「モーターマガジン」、「月刊自家用車」といったそれぞれ個性のある雑誌が発行され、長期に渡って親しまれるようになったのは前回で書いた通りです。

 

 

1960年代に入るとさらに日本の経済成長が力強くなってきます。それまでは未舗装路が主だった国道も舗装率が上がり、自動車産業も日本の基幹産業として成長していきます。三重県に日本初の本格的サーキットである鈴鹿サーキットが完成したのが1962年でした。同年に「カーグラフィック」が二玄社により創刊されます。創刊メンバーは「モーターマガジン」編集部に在籍していた高島鎮雄氏、吉田二郎氏、そしてフリーランスライターの小林彰太郎氏です。同誌はカーマニアが作った最初の雑誌と言って良いでしょう。

創刊号の特集はメルセデス・ベンツ300SLのロードテスト。車両はディーラーであるウエスタン自動車から貸与されたもの。

「カーグラフィック」は、創刊時には主に小林氏が、一般道、テストコース、あるいはサーキットでクルマの能力を検証することを特徴としました。創刊号はメルセデス・ベンツ300SL、創刊2号がジャガーEタイプと、現在のムックにあたるような1号1車種主義で深く掘り下げた内容となっています。

1967年1月号では、トヨタ・カローラのロードテストを行った。これが、同誌で継続的に掲載される編集部で購入したクルマによる長期テストの第一回目となる。

創刊スタッフの一人である高島氏は、「1962-1992 CGと自動車の30年」でこう綴っています(一部抜粋)。

「…とにかくその頃は大メーカーでさえ取材に応じ、試乗車を貸し出すのも、広告を出稿するのも宣伝課であり、車に対していささかでも批判的な(というより偽らざる)印象を書くと、すぐに出稿を止めるという報復を受ける、という時代であった。…しかし口にこそ出さなかったが、ひそかに「自動車界の“暮しの手帳”」を目指していたCGは、そうした圧力に屈することなく、常に批判精神を抱き続けて今日に至っている…」

このようなスタンスが、黎明期の日本の自動車ジャーナリズムに果たした影響は少なくないでしょう。果たして今はどうでしょうか?