10年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身はわりとやわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、今になって思うことを書いてみたいと思います。今回はその5回目です。
本格的に自動車雑誌が活況を呈してくるのは、1955年にトヨタからトヨペット・クラウン、日産からダットサン110が発売されてからです。クラウンの価格は101万5000円。当時のサラリーマンの初任給の100倍を超える価格でした。この時点では個人所有というよりも、タクシー会社などがメインユーザーでした。
クラウン発売の少し前になりますが、1952年に「自動車工学」が鉄道日本社より創刊されます。社名からもわかるように、同社は「機関車工学」や「レースウェイマンスリィ」などの鉄道の専門誌を発行していましたが、モータリゼーションの時代を先読みし、自動車整備士試験と、その解答が巻末に付くなどのテキスト的な内容で読者の支持を得ていきます。
整備士向けとはいえ、新車情報はもちろん、インプレッション、メカニズムの解説など自動車雑誌の重要な要素も充実しており、読み応えのある内容でした。後に連載される「整備日誌アラカルト」などの企画は、整備士がいろいろなクルマのトラブルに直面し、その原因を突き止め修理していくところなど、個人的にも好きな記事でした。
1955年には「モーターマガジン」が創刊されます。エンターテイメントとしての自動車雑誌という意味では、戦後のパイオニアと言えると思います。創刊号の表紙はダットサン110セダン。巻頭言は「道路に対する国民的認識」。これは道路の必要性を欧米と退避しつつ説く記事。カラーページでは三菱ウイリスジープを紹介するとともに、トヨペット・クラウン/マスターも掲載しています。
さらにカメラ・ルポルタージュとしてトヨタ自動車挙母工場でのクラウンの生産ラインを4ページにわたって見せています。特に一般誌であることを感じさせるのが積極的に読者の投稿を募集している巻末ページです。「自動車写真コンテスト」では、自動車を主題とした読者の写真を募集。優秀作品は同誌の口絵として発表するとともに、入選作品1000円、選外佳作にも記念品を贈呈するなどの大盤振る舞い?を見せています。
同誌は創刊3号までは日刊自動車新聞社からの発行で、その後、モーターマガジン社からの発行になっています。そういう面では創刊当初の「モーターマガジン」を読むと、業界誌的な雰囲気を感じるものの、号を重ねるにつれて、現代の自動車誌のイメージに近づいてきています。