自動車ライター飯嶋洋治のブログ

編集者、ライターです。「モータースポーツ入門」、「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」(ともにグランプリ出版)、「スバル・サンバー 人々の生活を支え続ける軽自動車の半世紀」(三樹書房)、「きちんと知りたい!自動車エンジンの基礎知識」(日刊工業新聞社)など著書多数。たまにサーキットを走ります。

2014年5月10日の写真から。トヨタ博物館所蔵の日野コンテッサ900。

コンテッサ900は軽快なエンジン音を響かせながらトヨタ博物館内をパレード走行していました。

日野自動車コンテッサ900です。おそらく拙著「スバルサンバー 人々の生活を支え続ける軽自動車の半世紀(三樹書房)」の取材のためにトヨタ博物館に行ったときのものです。後ろに少し見えているのはコンテッサ1300クーペのレース仕様だと思います。

おぼろげな記憶なのですが、我が家のクルマとして最初に記憶にあるのがコンテッサ900です。おそらく家の中のどこかに写真があるはずなのですが、ぱっと出てくるような状態でもありません。ただ亡父が「あのクルマは良かった。でも本当は1300が欲しかったけどお金がなくて買えなかった…(泣)」とは良く言っていました。もしかしたら1969年日本グランプリを観戦に行ったときもこのクルマだったかもという気もします。

自動車ライター的に解説しておくと、日野自動車工業(当時、日野ヂーゼル工業)が、1953(昭和28)年にルノー公団と技術提携しルノー4CVを国産化します。その技術を活かして1961(昭和36)年に誕生したのがコンテッサ900ということになります。ちなみにコンテッサContessa)はイタリア語で「伯爵夫人」という意味です。かなり高貴なイメージで売ってきました。

リヤに縦置きされる0.9L直4OHVエンジンは35ps/5000rpmと非力でしたが、車重は720kgですからそこそこ良く走ったと思います。ちなみにクラウンが48psで1210kgですからパワーウエイトレシオは圧倒的にコンテッサの勝ちです。

サスペンションはフロントがウイッシュボーン、リアがスイングアクスルという贅沢な4輪独立式です。当時はクラウンでさえリアはリジッドでしたから、やっぱりここもフランス流の進んだ部分。ただ、残念なことに販売では成功とはいかず1967(昭和42)年に日野は乗用車部門は撤退。トヨタと提携したのですが、その条件が小型車部門からの撤退ということもあったそうです。

コンテッサとは関係ないですが、このときにサンバーの資料をお借りできたおかげで前述の「スバルサンバー…」もなんとか書き上げることができました。トヨタ博物館内には図書館もありますし、クルマ好きは一度足を運ぶことををおすすめします。

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