自動車ライター飯嶋洋治のブログ

編集者、ライターです。「モータースポーツ入門」、「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」(ともにグランプリ出版)、「スバル・サンバー 人々の生活を支え続ける軽自動車の半世紀」(三樹書房)、「きちんと知りたい!自動車エンジンの基礎知識」(日刊工業新聞社)など著書多数。たまにサーキットを走ります。

自動車雑誌、悪戦苦闘の100年史(2)

10年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーション自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身はわりとやわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、になって思うことを書いてみたいと思います。今回はその2回目です。

大正時代には日本の自動車産業の萌芽が見られたが…

上の書影は、1913(大正2)年に創刊された「モーター」です。創刊したのは山本豊村氏。これに際しても、「飛行器ト自動車」の発見者である齋藤俊彦氏が詳しいです。齋藤氏によると、山本氏は日本の草創期のモータージャーナリストで、新潟県出身。早稲田大学卒業後、自動車知識普及の翻訳に携わったのが創刊の契機となった、とあります。

 

「モーター」は、自動車関係の各方面の専門家、団体首脳、経営者、学会、交通警察、さらには官僚、軍人なども寄稿しており、一般的な雑誌というよりも官報などに近いスタンスだったのかもしれません。

 

また、同誌には、相談役として大倉喜七郎の名前が記載されています。大倉氏は、大倉財閥創始者大倉喜八郎の長男。1907年、イギリス留学の際に英国・ブルックランズサーキットで行われた自動車レース「モンターギュ・カップレース」にフィアットで出場し2位になるほどの好事家。大倉は、代表的な自動車愛好家として、業界の中心人物となります。

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大分ポップな表紙となった自動車&飛行機雑誌「スピード」

1918(大正7)年になると、「スピード」が創刊されます。発行人は相羽有(あいばたもつ)氏。発行所は日本飛行学校出版部及びスピード社となっています。相羽氏はもともと資産家の長男として生まれていますが、経歴は結構破天荒です。1910年代に20台で日本飛行学校を開設し校長に就任。自校の宣伝のために飛行機でビラ撒きを敢行!それまではいいとして、その飛行機が墜落し、教官と飛行士と練習機を一挙に失うという不運に見舞われますが、寄付や、通信教育でそれを切り抜けます。

 

ひと安心と思いきや、今度は台風と津波の被害に見舞われて東京湾岸の格納庫とともに飛行機を全部吹き飛ばされるという不運に遭います。

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ただ、このときに第一次大戦の公共を背景としてアメリカの量産大衆車としてフォードに対抗していたスターの輸入、ノックダウン組み立て販売を目的とする日米スター自動車を設立。この会社が自動車ブームにのって大成功して利益を上げます。この資金で自動車学校の再建、飛行科の併合など事業発展の基礎固めに費やし、合わせて出版部門も強化して玄関飛行機・自動車雑誌「スピード」を帝國飛行協会の機関誌として発行します。

1925年に相関された「モーターファン」。当時は三栄書房の発行ではありません。

1925(大正14)年になると、「モーターファン」が登場します。これについては三栄書房の社史「60年の轍」に詳しく書いてあります。出版元はアメリカ通信社。横浜・生麦に所在し、もともと「JA&A(ジャパンオートモビル&アクセサリー」という自動車&用品誌を発行していたといいます。これが「モーターファン」に改題したのか、別途「モーターファン」が創刊されたのかは不明と記載されています。その後「モーターファン社」からの発行となります。

 

1925年はフォードが横浜の子安地区にある組立工場を稼働した年であることなどから、この記事の筆者の松本晴比古氏は、アメリカ通信社はフォード社がバックアップした自動車雑誌出版社であったかもしれないと推定しています。

 

こんなふうに戦前の自動車雑誌が創刊された背景を見ると、世界的にはヨーロッパが第一次世界大戦の時代。日本はイギリスと日英同盟を結んでおり、比較的平穏のうちに戦勝国となっていることがあります。1914年には快進自働車工場が、「ダット号」を上野の東京大正博覧会に出品。翌年には梁瀬商会がキャデラック、ビュイックの輸入を開始、1917年には三菱造船が三菱A型を製造するなど一定の活況を呈していました。

 

1923年には関東大震災が発生して東京は壊滅的な被害を受けますが、復興のテンポは早く、第一次世界大戦の戦争特需の影響で造船業、繊維業、製鉄業などが発展。日本は一気に近代化が進む中で工業が目覚ましい発展を遂げた時代と重なっています。