自動車ライター飯嶋洋治のブログ

編集者、ライターです。「モータースポーツ入門」、「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」(ともにグランプリ出版)、「スバル・サンバー 人々の生活を支え続ける軽自動車の半世紀」(三樹書房)、「きちんと知りたい!自動車エンジンの基礎知識」(日刊工業新聞社)など著書多数。たまにサーキットを走ります。

自動車雑誌、悪戦苦闘の100年史・モータースポーツ誌編(3)

11年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーション自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身は意外と?やわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、になって思うことを書いてみたいと思います。自動車雑誌編は24回で完結していますが、今回は同書の中で残っていたモータースポーツ誌編の第3回となります。

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平凡パンチ」は自動車専門誌ではないですが、モータースポーツと縁の深い雑誌となります。「AUTO SPORT」を事実上創刊した星島浩さんが三栄書房を退社後、カーデスクとなっていました。同誌は1964年に平凡出版(現・マガジンハウス)から創刊されました。いわゆる男性誌ということで、自動車雑誌に比べれば発行部数も多く、影響力は自動車専門誌よりも大きいものでした。アメリカの東海岸の名門校からなる「アイビーリーグ」のファッション、「アイビールック」を取り入れたVANの創始者である石津謙介や、人気レーサーの生沢徹、福澤幸雄、式場壮吉などを誌面に登場させることにより、クルマ好きの読者の支持を集めていきます。星島さんはそれに関わることになった事情を語ってくれました。

「1963年の暮れに三栄書房を辞めることが決まりました。ちょうどそのときに「平凡パンチ」を創刊することになっていて、三保敬太郎(作曲家、レーシングドライバー)だとか保富庚午(放送作家、作詞家)だとか、親しくしていた方々が誘ってくれました。企画の柱はファッション、映画だとかいろいろなものがありましたが、その中にクルマやバイクがありました。それで情報提供や執筆を頼まれました。第2回日本グランプリの直前でしたので、私は、第1回日本グランプリでコロナで勝った式場壮吉が、トヨタからの資金でポルシェのプロトタイプを買い込んで、プリンス勢をやっつけるつもりだという記事を書いたのです」

平凡パンチ」の創刊号は、大橋歩によるアイビールックの青年がクルマの周りに集まっている表紙のイラストが目を惹きます。星島さんの書いた第2回日本グランプリが巻頭記事となっています。キャッチは「25歳の式場選手がレーサーの命をかける ポルシェ904をめぐるナゾ」といささか扇情的なものでした。これも時代を感じさせる部分です。そこには、第1回日本グランプリトヨタがパブリカ、コロナ、クラウンで三種目に優勝したことでの広告効果の高さや、その影響の大きさに各メーカーが第2回グランプリで優勝すべく、競争がエスカレートしていく状況が記述されています。

黎明期のトップドライバーである式場壮吉選手が第2回日本グランプリにポルシェ904を持ち込んだことは大きな話題となりました。

そうしたなかで、トップレーシングドライバー式場壮吉が、鈴鹿サーキットにポルシェ904とともに姿を現した写真を掲載。これがプリンス・スカイラインをはじめとする国産車に対抗できる有力な車種がないトヨタが画策したものだという噂をめぐった記事内容でした。

「読者からこの記事が一番面白かったという反響がありました」と星島さんは言います。

1960年代「AUTO SPORT」や他の自動車雑誌、そして「平凡パンチ」は日本グランプリでのトヨタ、日産、そしてブリヂストンをバックとしたレーシングチームであるタキレーシングの競争を「TNTの戦い」として大々的に取り上げました。日本のモータリゼーションを引っ張る大メーカーと、ブリヂストンタミヤといったスポンサーを得たタキレーシングというプライベート系チームの熾烈な争いはクルマ好きのみならず、一般的な若者層にも大きな話題となったのです。

このように一般男性誌がメインでモータースポーツを取り上げるような状況にあったという時代背景は今となっては隔世の感があります。それだけ「クルマ」は魅力的な存在感を放っていたのでしょう。

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