10年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身はわりとやわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、今になって思うことを書いてみたいと思います。
とりあえず日本最古の自動車雑誌は「飛行器ト自動車」らしい
日本で自動車雑誌は何かな?という素朴な疑問があって、当時のグランプリ出版の編集担当だったK氏などにも手伝ってもらい調べると、「轍の文化史:人力車から自動車への道(ダイヤモンド社)」などの著書がある齋藤俊彦さんが「飛行器ト自動車」という雑誌を挙げていました。
この雑誌、東京大学にある「明治新聞雑誌文庫」に2冊所蔵されていることがわかったので、さっそく事前問い合わせ、登録の上で東京・本郷の赤門をくぐります。ちなみに私が最初に勤めた出版社の山海堂も最寄りの駅だったので、おなじみといえばおなじみの場所。
同書はおおよそB5サイズの小冊子という体裁。表紙は、まさに和洋折衷というか、モダンなThe TOKYO MOTORの書体と、手書きで朱筆の「飛行器ト自動車」が織りなすコントラストがイケてます。中程のイエローももっと鮮やかだったんでしょう。
同施設で許可を得て撮影しました。なにやら部署内で揉めているような様子もあり?中身はあまり落ち着いて読めなかったのですが、写真の「二千二百哩の自動車旅行に何を感じたか」が読みやすく、当時の日本の自動車事情がよく分かる感じ。
記事は、銀座の自動車販売主、山口勝蔵氏で、自動車で一万哩の日本周遊を計画したときの談話というかたち。ちょっと抜粋すると「今回の旅行でまず第一に感じたことは、世界の一等國になったと云ふ日本に殆ど道路らしい道路がないということである。勿論帝國の首都たる東京と日本第一の貿易港たる横濱との間すら昔ながらの悪路で而も昨年の洪水以来特別の修繕もせず、今では六郷の橋が危険なので、自動車旅行が全然出来ぬ位であるから…」云々と最初からギブアップな気味。
ここで出てくる洪水というのは「明治43年の大水害」と呼ばれているもので、東海・関東・東北地方に豪雨が続き、関東一帯が泥沼化し、長雨に続く記録的な集中豪雨で河川氾濫・土砂災害が続出、死者・行方不明者1357人、家屋全壊2765戸、流失3832戸という被害をもたらしたものだそうです。
それでなくても狭い道の中央に電信柱があって自動車では通れないところがあったり、旅先でガソリンやオイルを入手するのが困難なこと。グリスアップに関しては牛や豚の脂肪を買って、自分で煮出して作ったことなども書いてあって、令和の今となっては隔世の感なんてものではありません。
山口氏は景勝地も荒れ放題になっていることから、一旦周遊を中止しなければならなったことなどを口惜しそうに語っています。いずれにしてもまだ自動車が国内に200台から300台くらいしかなかった時代に自動車(と飛行機)の雑誌があったというのは興味深い事実です。