自動車ライター飯嶋洋治のブログ

編集者、ライターです。「モータースポーツ入門」、「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」(ともにグランプリ出版)、「スバル・サンバー 人々の生活を支え続ける軽自動車の半世紀」(三樹書房)、「きちんと知りたい!自動車エンジンの基礎知識」(日刊工業新聞社)など著書多数。たまにサーキットを走ります。

自動車雑誌、悪戦苦闘の100年史(14)

10年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーション自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身はわりとやわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、になって思うことを書いてみたいと思います。今回はその14回目です。

1980年に「CARBOY」が創刊。DIYチューニング系の雑誌として一世を風靡する。

1980年代初頭の自動車雑誌を見ていくと、70年代末の「ホリデーオート」でゼロヨンGPが活況を呈したことなどから、各誌で0→400mのタイムトライアルや最高速トライアルが行われるようになります。背景には、高性能エンジンの登場に加え、チューニングカーブームやチューニングショップの登場などがありました。

その流れで、80年代はチューニングカー雑誌が登場するのも特徴です。1980年4月、「ドライバー」を発行している八重洲出版から「CARBOY」が創刊されました。当初は「オートメカニック」的なDIY路線でしたが、積極的にエンジンを中心に改造を加える方向に転換していきます。

同誌からは「プライベートチューナー」という言葉も生まれ、さらにエンジンチューニングだけでなく、外観のカラーリングや機能性を重視したエアロパーツを取り扱うことによって読者を獲得していきます。

さらに、これは走り系、モータースポーツ系雑誌含めての傾向ですが、峠道を走る層にも焦点が当たっていきます。それまでのドライブガイド的に峠道を走るという方向から、峠を速く走る方向に向かわせたことは事実でしょう。

これには、格好の素材として1983年にデビューしたAE86カローラ・レビン/スプリンター・トレノがあったことも見逃せません。他のスポーティカーがFF化されていく中で、AE86はFRとして残ったのは歓迎されることでした。アクセルコントロールでテールスライドできるリヤ駆動にこだわる層も厚く、同車が強く支持されることになり、以降長年にわたり人気車となっていきます。

1987年10月に開催された「鋸山ヒルクライム」。いわゆる走り屋たちの嗜好にピッタリのイベントだった。(スピードマインド1987年No.2より)

JAF公認イベント(クローズド格式)として「鋸山ヒルクライムミーティング」が開催されたのが1987年です。これには土屋圭市などのレーシングドライバーもデモ走行的ながら参加し、レビン/トレノがドリフト走行を見せることで人気を集めました。

こうした流れが「峠族」や「ドリフト族」に繋がっていった面は否定できないでしょう。当時は好景気とも重なり、クルマに潤沢にお金をつぎ込む若者層が生まれていき、それに合わせるようにチューニングメーカーやショップも隆盛を極めていきます。

「OPTION」は1981年に創刊。当初はモータースポーツ色が強かったが、キャノンボールなど過激路線に流れ部数を伸ばす。チューニング業界の隆盛とともにあった。

チューニング路線でさらに過激に走っていったのは三栄書房から1981年に創刊された「OPTION」です。同誌は1980年にモータースポーツ専門誌の「AUTOSPORT」の別冊として発行。当初はモータースポーツ色が強かったが、ターニングポイントとなったのが3号目のと九州「“ハコ”こそわが命・大流行のチューニング極致特集号」でした。

これが読者に支持され、以後の柱は「最高出力」と「最高速度」となります。「CARBOY」がイメージ的にDIYの要素を残していたのに対して「OPTION」はチューニングメーカーのショップでチューニングしたデモカーを中心に誌面を作っていった感もある。

同誌の月刊化創刊号の巻頭特集は「本州最北端・青森県大間崎から、本州最南端・山口県下関までの1800kmを走破!雨宮ロータリー、列島を切り裂く」です。これが名物企画となる「キャノンボール」のはじまりとなります。もともと「キャノンボール」とは、アメリカ大陸を横断する自動車レースで交通規則を無視して公道最速記録に挑む非合法レースを意味します。

同誌の企画はスピードを競うものではありませんでしたが、話題作りという面ではそのイメージで成功したと言えるでしょう。創刊当初は部数的に苦戦するものの82年から部数を伸ばし始め、自動車雑誌としては大部数といえる10万部雑誌へと成長。以後も部数を伸ばしていきます。

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