10年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身はわりとやわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、今になって思うことを書いてみたいと思います。今回はその6回目です。
前回紹介した「モーターマガジン」誌が創刊された1955年には、当時の通産省がいわゆる国民車構想を掲げた年です。この構想はマスコミへのリークという形で世に出ました。多くの人達が容易にクルマを入手できるように、国が自動車メーカーに資金援助をするという内容でしたが、それにはハードルがありました。具体的には25万円の車両価格で100km/h以上の性能を持つものです。
当時の日本の自動車メーカーの技術では実現することが難しく、この構想は後に取り下げられることになりますが、それでも挑戦したメーカーもあり、低価格の大衆乗用車が三菱などから市販されました。360cc以下で車両サイズも規定された軽自動車も登場する機運が盛り上がるなど、業界を活性化したことも事実です。
進む大衆化の中で、1959年に「月刊自家用車」が内外出版によって創刊されます。この雑誌はクルマを実際に買うためのバイヤーズガイドに特化したのが特徴です。同誌の創刊年に発売されていた車両を挙げると、クラウン、グロリア、ブルーバード、コロナ、スカイライン、スバル360、スズライトなど。いすゞのヒルマンミンクス、日野のルノーなど海外メーカーの技術供与を受けたクルマもまだ存在していた時代です。
同誌の創刊当初の紙面の構成を見ると両表紙となっており、右綴じにして読むと本文縦書きで、車検場のレポートや免許証の取り方など、読み物的な記事。左綴じにして横書きからはじまるページは、クルマのメカニズム解説やメンテナンスのページとなっています。自動車の専門記号やアルファベット表記などが出てくることを考えると合理的です。まあ、表紙まわりに広告が入るまで業界が熟成していなかった苦肉の策という面もあるでしょう。
同じく1959年には創進社より「自動車ジュニア」が創刊されています。この雑誌は名称からもなんとなく分かるとおり、若い世代を狙ったものでした。創刊号で目立つ記事を挙げると「ジュニア対談 皇太子はスリルがお好き」と題して、交通博物館業務化事業係長の鷹司平通氏と、立教大学自動車部の女子部員、慶応高校自動車部の男子部員との鼎談を掲載しています。
鷹司氏は、五摂家のひとつであった鷹司家の27第当主にあたります。奥さんが昭和天皇の第三皇女の和子様ということでこのタイトルの記事となったのでしょう。かなりのセレブな?雑誌という感じはしますが、連載小説や連載マンガもあり、若い人を取り込もうという編集部の姿勢が伺われます。