10年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身はわりとやわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、今になって思うことを書いてみたいと思います。今回はその11回目です。
CARトップやホリデーオートと言った一般誌的自動車雑誌が隆盛する一方、メカニズム好きと言える層も確実にいたのがこの時代です。1972年には「月刊自家用車」の発行元である内外出版が「オートメカニック」を創刊しました。これは徹底的にDIYにこだわった内容がウリでした。
こうした内容に近い雑誌は「自動車工学」がありましたが、一般書店で購入できるとはいえ専門的すぎて、一般読者は手に取りにくかったのも事実でした。そこに目をつけたのが「オートメカニック」といえるでしょう。同誌はいわゆるチューニング雑誌ではありません。あくまでもメンテナンス、リペアを中心とした内容で、それがメカ好きの読者に受け入れられた形となりました。
創刊から約1年の74年1月号を見てみると、特別企画として「石油危機時代に自衛する!“燃費向上作戦”」が掲載されています。冷却水温、エアクリーナー、チョークの狂い、圧縮圧力、ポイント、キャブレター、タペットギャップ、プラグの汚れ、プラグギャップなどエンジンパーツについての記述が多く見られ、こうした部分の解説が、当時のオートメカニックの真骨頂と言えるでしょう。
1975年には、自動車雑誌の流れとは別にブームが起きようとしていました。集英社の「少年ジャンプ」で池沢さとしのサーキットの狼の連載がはじまります。主人公の風吹裕矢が乗るロータスヨーロッパ、ライバルが乗るランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェなどが当時の少年に大人気になりました。
スーパーカーブームに対する各自動車雑誌の対応はさまざまでした。その波に積極的に乗っていったのが「モーターマガジン」で、(一時的にせよ)発行部数を大きく伸ばします。対照的に冷めた目で見たのが「カーグラフィック」で、当時の小林編集長は「ブームになった時は、わざと背を向けたわけだ。僕は天邪鬼だからね」と「カーグラフィック50周年記念号」で語っています。
1977年には立風書房から「ル・ボラン」が創刊されました。意図したかどうかは別としてスーパーカーブームに乗るように創刊された感じがしたのをおぼろながら覚えています。記事の中心となるのは高級外国車。創刊当時のことを、清水猛彦編集長は同誌の400号記念号でこう振り返っています。
「キーポイントとしたのはカラーグラビアを主体としたファッショナブルかつ軽快感のある大判のビジュアルマガジンというもの。当時の自動車専門誌といえばB5判が主流で、老舗のモーターファン、モーターマガジン、月刊自家用車、ドライバー、そして週刊誌タイプのカートップ、ホリデーオート、ピットインなどが覇を競っており、わけても輸入車を中心にしたCG(カーグラフィック)は文字通りグラフィカルで輸入車ユーザーに根強い人気を誇っていた。そんな状況下に投入するのだから、先行する自動車雑誌とは一味違うユニークな誌面構成を目指したいと考えていた」。
先行誌が充実している中、発行するための個性をどう出すかがポイントでしたが、クルマそのものだけでなく、ドイツで生まれていたチューニングメーカーをいち早く取り上げたことが特筆されます。ABT、エッティンガー、ハルトゲ、ロリンザーなどで、今まで日本で知られていなかったブランドを知らしめることなどにより、後発ながらも読者の支持を集めていきました。
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