自動車ライター飯嶋洋治のブログ

編集者、ライターです。「モータースポーツ入門」、「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」(ともにグランプリ出版)、「スバル・サンバー 人々の生活を支え続ける軽自動車の半世紀」(三樹書房)、「きちんと知りたい!自動車エンジンの基礎知識」(日刊工業新聞社)など著書多数。たまにサーキットを走ります。

自動車雑誌、悪戦苦闘の100年史(13)

10年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーション自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身はわりとやわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前に、そこから抜粋したり、になって思うことを書いてみたいと思います。今回はその13回目です。

ソアラが火蓋を切った「ハイソカー」ブーム。「ホリデーオート」がここで存在感を示し部数を伸ばした。

1980年代に入ると、各自動車メーカーは厳しい排ガス規制をクリアし、オイルショックも乗り切り、国際的に存在感を増していました。自信を持った日本の自動車メーカーはエンジンの高性能化を図り、ターボやDOHCエンジンも増えていきます。またFRからFFへのパッケージングの変化もありました。

FFは一般的にエンジンが横置きとなり、エンジンルーム幅は必要とするもの長さが抑えられます。そのため室内空間が広くパッケージングに優れるためFF化が進みました。ボディスタイルもセダンからハッチバックが多くなってきます。

このような傾向の中で、1980年に発売された5代目マツダ・ファミリアは特にこの時代を象徴していたと言えます。第1回日本カーオブザイヤーに選ばれたこのクルマは、FFハッチバックの洗練されたスタイルと、使い駆っての良さを持ち、爆発的な販売を記録しました。当時絶対的な存在だったカローラ販売台数を超える月もあったほどといえば、その凄さが分かるでしょう。

FRからFFにレイアウトを変更したファミリアは、ハッチバックスタイルが好評で、月間販売ランクで1982年に3度、1983年に1度1に立つという人気車となった。

この時代を象徴する雑誌のひとつが「ホリデーオート」なので、再度になりますがピックアップします。まず1981年にトヨタソアラが登場し、同誌を軸にいわゆる「ハイソカーブーム」の火付け役になります。他にも、マークII、チェイサーなど直6DOHC(+ツインターボ)エンジンを搭載し、電子制御サスペンションを採用した高級志向のクルマが流行り、それもハイソカーブームを支えます。

この「ハイソカー」というスラングは「ホリデーオート」から生まれた言葉です。83年の夏にドアミラーが解禁されますが、その頃同誌は60万部という最高部数を記録しました。その頃は、広告も満杯になってしまい、中綴じ針が止まらないこともあり、月2回刊となっていきます。

1981年に「ホリデーオート」で特集されたソアラの記事。本格的なグランツーリスモとしての期待の高さが読み取れる。

70年代後半からの「街道レーサー」ブームもまだ続いていましたが、その中で「チバラギ」なる流行語を生み出したのもまた「ホリデーオート」でした。1983年4月26日号で行った千葉・茨城特集「ちばらきシンドローム」が大反響となり、定着していきます。

この企画は、いわゆる「出っ歯」や「竹槍」などといわれた過激なカスタムカーが多い千葉と茨城のクルマを揶揄?する内容となっいました。ちなみに「怒りの電話で編集部の電話は1週間ほど鳴りっぱなし」という状況にになったそうです。

1980年代前半の社会的現象ともなった「Oh!My街道レーサー」。「ちばらぎ」という言葉は是非はともかく、当時の風俗となる。

このような絶頂の中でも、同誌は方向転換の時期も迫っていたことも理解していました。社会的には暴走族ともイメージが重なる「Oh!My街道レーサー」が受け入れられなくなり、現実問題として投稿も減ってくるようになりました。

編集部としても社会的な問題や、世間の流れからずれてきたので非常に悩んだというのが本音でした。また、カスタムという面でも素人が手作りしたパーツではなく、しっかりとしたチューニングパーツの市場が整いつつあったことも背景にありました。

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