11年ほど前にグランプリ出版から「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」というやけにカタいタイトルの本を出しました。中身は意外と?やわらかくて、歴代自動車雑誌紹介と、それらが発行された時代背景、風俗をからめ、できる範囲で関係者からのインタビューを掲載したという感じの内容です。絶版?になる前(※2024年3月5日現在出版社在庫分のみになっているようです)に、そこから抜粋したり、今になって思うことを書いてみたいと思います。自動車雑誌編は24回で完結していますが、今連載は同書の中で残っていたモータースポーツ誌編の第8回となります。今回は、モータースポーツのターニングポイントとなったバブル崩壊から衰退局面について振り返ります。
90年代のモータースポーツ界は、表面上は盛り上がっていたように見えました。F1グランプリにはホンダがエンジンサプライヤーとして継続的に参戦を続けており、ドライバーも中嶋悟と鈴木亜久里の引退後も、片山右京、中野信治、高木虎之介らがF1にレギュラードライバーとして参戦しています。国内を見ても93年まではグループAによる全日本ツーリングカー選手権が行われ人気を集めていました。
しかし、バブル崩壊などの景気の後退もありモータースポーツ人気の低下は明らかになってきました。とくに国内レースはそれまで積極的にモータースポーツチームをスポンサードしていたアパレル業界関係など多彩な企業がモータースポーツ界から姿を消してしまいました。象徴的だったのが、国内で活発なレース活動を行い89年にはF1にまで進出したレイトンハウスレーシングチームが1991年に崩壊したこと。さらに94年にはF1ドライバーとして絶大な人気を誇ったアイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーがサンマリノGPで事故死し、F1を中心としたモータースポーツ離れも加速していったことも不幸でした。93年には全日本GT選手権(2005年よりスーパーGT)が開催されるようになり、人気レースとはなりましたがモータースポーツ全体を盛り上げるには至らなかったと言えるでしょう。
ラリーでは、日本での開催が待ち望まれたWRCに2004年から「ラリージャパン」が組み込まれるという話題もありました。ただ、すでにトヨタ、日産はワークス活動を終了しており、三菱も直前に参戦中止するなどタイミングが良いとは言えませんでした。そして、2008年のリーマンショック以後はトップカテゴリーから参加型まであらゆるモーターポーツが停滞したと言えるでしょう。
個人的なことを言えば、私もモータースポーツ誌の仕事がまったくなくなり、一番困った時代になります。
次回からはこの衰退局面でのモータースポーツ誌がどうなったかを見ていきます。
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